カテゴリー「仕事」の54件の記事

壊れたままの人間関係

「出かける時はホワイトボード書いてって下さいよ。どこ行ったか判らなかったじゃないですか」
「・・・」(無視)

何がきっかけか今となってはよく判らないが、とある同僚に徹底的に嫌われている。挨拶をしても私だけは無視。送ったメールはクライアントに即迷惑がかかること以外は無視。彼から話し掛けてくることは皆無。私がやっている仕事には批判的なことしか言わない(つまり対案が無い)。どうも相当陰口も叩かれているようだ(直接聞いたわけじゃないから真偽の程は判らないが)。

一番堪えたのは、知らないうちにマイミクシィから削除されていたこと。気のせいでは片付けられない、毎日顔を会わせる同僚に対する明確な拒絶の意志表明。

こんな状態が2年ほど続いている。どうしたらこの関係が修復できるか、もう判らない。ため息しか出ない・・・。

どうもうまくいかない

仕事の話。

去年の3月に「体制を変えるから新チームをよろしく頼む」と言われてからもうすぐ1年経つ。正直、うまくいったと思えることが数えるほどしかない。当時の上司が自分に期待してたことは「新しい顧客、新しいエリア、新しい部下でも、こいつならうまくやれる」だったのだろうが、今更のように自分の力不足を痛感する。その上司も3ヶ月で異動してしまい、トップだけが替わって体制はそのまま8ヶ月が過ぎた。

よかれと思ってやったことが裏目に出たり、理解されずに批判されたり、罵倒されたり、全面否定されたり。試行錯誤というか、七転八倒というか。ようやく「いい経験をさせてもらってる」と思えるようにはなったが、やることなすことこれだけうまくいかないと正直辛い。結局来期からはチームの長を降りることになった。最後は自分で降りたつもりだが、客観的に見れば「降ろされた」のだろうな。『失格』という烙印を押されたという思いはどうしても拭い切れない。

「楽しい仕事」なんてなかなか無いけど、辛い仕事も自分次第で「楽しくする」ことはできると思う。でも、今は何をどうやってもなかなか楽しくならない。「やりとげた」と思えたことや「会心」だったことが無いんだな。「感動」の方が判りやすいか。感動したり感動させたり。そんな場面が極端に少なかったように思う。

最近自分自身のことで気になることがある。怒らなくなった。腹が立たなくなった。「セルフコントロールができている」というわけではなく、単純に「感情の起伏が少なくなった」ように思う。自分のことを、客観的というより他人事のように感じているような気がする。よかれと思ってやったことが裏目に出たり、理解されずに批判されたり、罵倒されたり、全面否定されたり・・・そんな場面に遭遇したら、昔の自分だったら本気で怒ったり、本気で悔しがったと思う。その「なにくそ!」をバネにして、またがむしゃらに行動してたように思う。

なんか、変に大人になってしまった。

営業と予算

(mixiに数日前書いたものから転載)

営業には予算がつきもの。売上を上げるのが営業の仕事で、いつまでにいくらやるか?という目標値が設定されているのはどこでも当たり前の話。

神様でもない限りマーケットが完全に把握できることなんてないから、売上がどのくらいあがるか?ってのはかなり予測が入ってくる。商品は一つではないから、これは減少傾向、これは前年並み、この案件が何月でいくら上がり、新規商品投入が何月からだから・・・という皮算用を半年単位で修正を加えながら、事業計画を立てていくわけだ(余談だが、確か近々に4半期決算が義務化になるはずなので、いずれ3ヶ月単位での修正になってくるわけか・・・)

ある程度大枠で予想されたもの(+α)が部の全体予算になり、拠点・チーム・個人の予算へと配分されていく。つまり、個人に与えられた責任が、予算と売上というデジタルな形でリアルに表現されるというのが「営業」という仕事の特徴なんだと思う。

さてその個人予算の配分で、メンバーの一人に「これくらいはやって欲しいなぁ・・・」という数字を伝えたところ、すぐさま「そんなのできるわけないじゃないですか!」というリアクション。正直かなり甘めに配分したつもりだったので、ちょっとビックリ。

どういう理由でそういうことを言うのだろうと話を聞いてみると、曰く「私が担当しているエリアの市場規模と、他の人の担当しているエリアの市場規模が全然違うのに、同じだけ積み上げなければいけないのはおかしい」とのこと。

んーなんかおかしいな、市場規模って何を元に言ってるんだろう?と思い突っ込んで話を聞くと、なんのことはない、現状で既に取引がある顧客の合計売上のことを市場規模と言ってるのだ。既存顧客だけを市場と考えたとしても、ちょっとズレてるなぁ・・・と思いつつ、どう修正するか、かなり苦慮。伝える側の思いと、受け手の思いのギャップが大きいと、それを埋めるだけでもかなりパワーが必要となる。

与えられた数字をどうやってやればいいのか、経験が浅いのでイメージが付かないのだろうと思い、ああしたらどうか?こういう手はどうか?これを何件やればいくらになる、じゃぁこれをこうしてみないか?などなど、色んな方法を提示してあげたら最後には納得してもらえた。

ふー。

***********

どうやって売上げを増やしたらいいんだろう?と色々悩み、片っ端から本を読んでた時に、非常に参考になる考え方を見つけた。

売上=顧客数×購入頻度×購入点数×購入単価

要するに、何件の顧客が、1定期間のうちに何回、何個、いくらのものを買ってくれたかで、売上げは決まる。考えてみりゃ当たり前の話だが、こうやって分解して考えてみると非常に判りやすい。

・取引顧客数を増やす
・購入頻度を上げてもらう
・数or種類をたくさん買ってもらう
・より単価の高いものを買ってもらう

シンプルに考えればこれだけのことなのだ。そのためにはどうすればいいか?ということをそれぞれ考えていけば、無数に方法は浮かんでくる。あとは、どういう優先順位で取り組むかだけだ。

営業経験を積むと、こういうことは感覚的には判ってくる。でもいざ説明しろって言われると、なかなか言葉に表せない。周囲の人間を動かすために、気持ちはもちろん大切。カリスマのリーダーは気持ちだけでもいい。「だまって俺についてこい!」で周囲が動いてくれる、すごい人も世の中にはいる。だけど、カリスマの無い私のような凡人は、「こういうデータがあって、こういう根拠があるから、こういう方法ならいける」というロジカルな説明に頼らざるを得ない。そういうのが得意なんじゃない。今の自分にはそういう方法しか無いのだ。だからここ数年、本当にいろんなビジネス書を読んだ。いろんな考え方を学んだ。それでもまだまだ足らない。自分には本当に力が無いと、いろんな場面で痛感する。

***********

こんな時、専制君主なあの人なら「うるさい黙れ!」って言っちゃうんだろうな。ピシャッ!と言った後のフォローがうまいんだよなー懐かしい(笑)けど、私には真似できない。

さぁこれからだというタイミング

以前にもあったなぁ・・・コツコツと耕し種をまきそろそろ収穫が見えてきた頃に担当変更。収穫は後を引き継いだ人が行った。至極当たり前だが、手柄は全部後任の人のものになった。もちろん自分がそのままやってたら収穫量が少なかったかもしれないし、後任の力も大きかったと思う。でも自分が蒔いた種は自分で刈り取りたかったと今でも思う。

さて今、当時とよく似た状況になりつつある。担当してた客はおろか、チームのメンバーからも引き剥がされることになりそうだ。新しく任される役割が「お前以外にやれる奴はいない」と言われてしまえば、今までのことは諦めるしかないのだろう。しかし以前も今回もタイミングが悪い。本当に「さぁこれからだ!」という絶妙のタイミングで足元をすくわれた感じだ。部署を変わるわけではないし働く場所も同じなのだが、まぁほとんど最初からやり直しだ。

どこであろうと何であろうと、手を抜くつもりは全く無い。何より自分の弱さに負けたくない。何事も経験だとも思う。自分がやってきたことを、自分が関わっているうちに成果に結び付けられるかどうかは、正直ギリギリのタイミングだ。決定事項として降ろす前に相談しろよ!と思うが、決められてしまった以上タイムリミットまでに何がしかの結果を残せるよう全力を尽くすだけだ。

時々心が折れそうにもなるが。

何のために働くのか?

ずっと以前に「何のために働くの?」という問いかけ広告に対する自分なりの答えを書いたことがある。現在、バックナンバー移設によりカテゴリーが選択されていない状態になっているため、過去ログをずっとさかのぼって1件づつ修正を行っている。この記事までたどり着いた時、一旦書いた思いつきの答えにずっと違和感を感じ、1年後に加筆修正を行っていたことを思い出した。最近改めて考えていたのだ、自分が何のために働くかを。

今いる会社は「情報を武器にしてもらうことで顧客やユーザーに満足してもらうことをビジネスとし、モノそのもは扱わない」という経営理念を掲げている。恐らく、物品を直接扱うチャンスなんて何回もあったに違いない。自社の売上げだけを追及するのならば、物販を手がけていればもっと早く大きくなれていたと思う。それをあえて「やらない」という理念を貫いてきた、この青臭さが好きなのだ。情報というのは別に無くても死にはしない。衣食住といった必需品ではないから、情報なんて無くても生きていける。情報というのは無いと損をしたり、困ったりするものだ。別に拳一つでも戦えるが、剣や銃を持てば強くなる。情報とはそういった武器と同じ。知らないことや隠されている情報で、一部の人が不当に儲けたり、泣きを見たり大損させられたり、それすら気づかずにいる人もいる。

私は今でもあまり「お金」とか「地位」や「名誉」のために働こうとは思わない。むしろ、「世の中のためになることをしたい」という思いは強くなっている。小さい頃なりたかった職業を思い出してみると、「先生」「弁護士」「新聞記者」などなど、自分の青臭い正義感がモロに判る。でも、その頃とあまり気持ちは変わっていないのだ。自分の仕事を通じて世の中を良くすることができれば、非常にうれしいだろう。だから「情報」を扱う、「情報」だけを扱う今の仕事は楽しい。「やっぱ物販やらなきゃダメだよ」などと経営理念を批判する人もいる。しかし、私は言いたい。

「情報で、物販する人の手助けをするのが、我々の理念じゃないのかい?」

意図

久々に部下を怒鳴り散らした。誰だって嫌われたくはないし、いつも穏やかににこやかに仕事できればそれに越したことはない。期待してるからこそ、時には厳しく接することも必要だと思う。

理不尽なことを言ったつもりはない。意図的に感情を爆発させてるから、ずっと怒鳴り散らしたわけではなく、自分をコントロールしながら話をしたつもりだ。が、あそこまで激情をぶつけしまったら逆効果だったかもしれない。ただ単に本人の感情を害しただけになってしまったかもしれない。

嫌われても構わないから、判って欲しかった。自分は一生懸命やってるつもりでも、周囲からはそう思われていないということを認識して欲しかった。半年間甘やかしてしまったから刺激を加えないとダメだと思った。ぶつかりながら、お互いのことを理解していけばいい。今は嫌われたとしても、そのうち判ってもらえる時が来るだろうか。

お盆休み明け初日、22:45に会社を出た俺がいる

しかも昼飯食うのも忘れてノンストップ。休み明け早々から、フルスロットル過ぎ。あまり気を張り過ぎるといい仕事できないぞ、俺。

駄目だ、怒りが収まらない

今まであまり売れてない商品を改良しライバル商品を駆逐すべく、半年以上かけて何十件ものクライアントに何回も何回もヒアリングをして、どういう対象にどういう戦略で営業するか知恵を絞りに絞って役員会に上げたら、とっくに気づいてなければおかしいような事実に初めて気が付いたような議論を繰り広げた挙句、足元をすくわれそうな指示が降りてきている。まさに梯子を外されるというのはこういう状態か。決定事項では無いはずなのに、周囲が既に決定事項として事後処理に動いている様子。状況判断せずその場の思いつきだけで経営できるなんて、素晴らしい会社だこと。思いつきで立ち上げた事業で過去どれだけ失敗してきたと思ってるのか。現場の声を聞かず思いつきで判断して今までどれだけ失敗してきたと思っているのか。ここで止めたら、何件もの非常に影響力を持ってるクライアントからの信頼を失い、それを修復するのは非常に困難になるのは間違いない。同様、私を含めたスタッフのモチベーションも修復不能になるだろう。必死になって頑張ってる人間の足を、頼むから引っ張らないで欲しい。

まぁ、私は所詮雇われの身ですから、最終的に判断をミスした責任は経営者が負うことになるわけですが。

昔のお客さん

当時担当だった顧客から携帯に連絡がきた。私が異動してからほどなく取引が無くなってしまっていたのだが、それを復活させようと思っているという電話だった。担当を離れてから2年以上経つのに、こうやって連絡してくれるというのは本当にうれしい。こういうご時世だから商売大変だけど、ようやく奥まったところから表通りに移転できる、だから心機一転広告も昔取引していた媒体(ウチ)に切り替えてみようと思ってる、などなど近況を教えてくれた。その地域の責任者は当時一緒に仕事していた気心の知れた奴だったので、名前を教えてあげて明日にでも連絡してみて下さい、と伝えておいた。

いつもいつも気持ちを張り詰めていられるはずもなく、自分もたまに気分が沈むことがある。いつもいつも元気で明るく前向きでいられるはずもなく、落ち込むこともあるし自分が信じられなくなることもある。でも、こういうことがあると、自分がやってきたことが間違ってなかったんだ、と頑張れる。

たくさんの人に支えられて生きている。

昇進

東京に異動して2年。無我夢中で全力疾走してきたことを、期待値として捉えて頂いていると考えることにしよう。正直振り返って、ビジネス的にめぼしい実績が残せたわけではないと自分では思う。無我夢中で走ることを許してくれた人、突っ走る自分が走りやすいように周りを整えて場所を用意してくれた人、突っ走っていってしまう自分にそれでも付いてきてくれた人。みんなに感謝したい。

「係長」というのは一般的にもウチの会社的にも思いっきり中間管理職。要求されるものは今までよりもっと大きくなるしシビアな目で見られるようになるだろう。責任の重さの割りに権限が無く苦労することもあるかもしれない。それは主任時代にも感じた部分もあるが、そうならないように奔走してくれた上司のおかげでかなりラクもできていたのだろう。今度こそ結果で報いたい。

より以前の記事一覧